「神様、どうかこの『ボス』を倒してください」
「主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく」— 詩篇100:5
一人称視点の人生と、設計者の視点
人間の視野の限界と、マップ全体を治める創造主
私たちは人生を一人称視点で生きています。勉強、就職、人間関係、倒産、病気、事故、裁判……それがボスです。
開発者である神は、人生のマップ全体も、隠しダンジョンも、後半で必要になるアイテムの場所も、エンディングの構造まで知っておられます。
だから多くの人は、祈りをこう考えます。
「神様、次のステージのネタバレをください」。
合格、裁判、恋愛、金運などなど。
もし神がネタバレしてくれたら?
未来を知ることの副作用と、ネタバレのない人生の益
•「あなたは大成功する」→ 怠けてしまうかもしれない
•「3年後に大きな苦難が来る」→ 不安で今を台無しにする
•「あなたは明日死ぬ」→ 今日を壊してしまうかもしれない
「あ、それならネタバレはいいです。
神様、このボスだけ倒してください」。
「ネズミの楽園(ユニバース25)」実験
痛みと欠乏がなくなるとき起きる終わりと、試練が逆説的に必要な理由
苦難がないとどうなるかを示しています。
食べ物、水、住まいが無限に与えられ、天敵「ボス」は一匹もいない。
個体数が爆発的に増えて空間が足りなくなると、社会の秩序が崩れた。
攻撃性が爆発し、母親は子育てを放棄し、共食いまで現れた。
繁殖も戦いも拒み、食べて寝て毛づくろい(見た目の手入れ)ばかりするオスが多数派になった。
社会的な死と絶滅:資源はまだ豊富だったのに、ネズミたちは交尾をしなくなり、群れは全滅した。
すべてのボスを倒してもらったら、クソゲーになる
ボスを消す代わりに内側を強くする、神と共に歩むシステム
すべてのボスを倒してもらったら、ゲームは壊れてしまいます。
だから神は、ネタバレの代わりに心を強くしてくださいます。「思いわずらうな。雄々しくあれ」。
そして人生に意味を植えてくださいます。「あなたはわたしの愛する子だ」。
ヴィクトール・フランクルは、意味を持つ人は苦しみに耐えられると言いました。
もちろん、祈らなくても成功はできます。
レベルも上がり、影響力も大きくなるかもしれません。
でも結局、強いボスの前で崩れてしまいます。
ソロモン王は、知恵、富、権力というすべてのアイテムを持っていましたが、神との祈りが弱くなると、倒れてしまいました。
祈りのない人生は、「自分が中心」のゲームです。
祈りのある人生は、「神が中心」の協力プレイです。
この「神と共に歩む」という言葉に、すべての秘密が詰まっています。
会社でも、仕事ができる人より、実力者とうまく付き合う人のほうが早く出世することがよくあります。「いい列に並ぶ」というやつです。
天国も、なんとなく似たシステムのようです。私たちと共に歩む方こそ、天国と地獄の裁判官なのですから。
偽のマップの誘惑と、永遠に残る関係の本質
世の価値観に埋もれさせる霊的な妨害と、真のエンディングである神との関係
結局、私たちは未来を完全に知ることはできません。神は、私たちに益になることだけを教えてくださいます。
その一方で、悪魔が作った偽のマップがはびこっています。
本質である「神と共に歩むこと」の代わりに、アイテム(成功や富)を集めることが人生の目的だとだまし、霊的な無気力に陥らせます。
祈りをやめさせ、システムの管理者である神から引き離し、最後には一人で戦わせて、厳しい試練の前で崩れさせるのです。
限られた一人称の視野を利用して未来への不安をあおり、マップ全体を見ておられる善い設計者を疑わせ、今日の平安を奪います。
私たちの目的は、アイテムでもマップでもボスを倒すことでもありません。
大切なのは、イエス・キリストを通した神との関係です。
人生というゲームが終われば、サーバーの終了とともに、すべてのアイテムは消えます。そしてゲームと違って、やり直しはできません。
残るのは、ただ一つ。神との関係だけなのです。