人間は、疑って争うようにできている
まずは、奇妙な現象から
お金のない両親が、自分は食べずに、一生、子どもにすべてを与えてきました。そこへ彼氏がやって来て、一言いいます。
「でも、なんでご両親はそれをしてくれなかったの?」
その瞬間、してもらえなかった一つのことが、してもらった何百のことより大きく見え始めます。
職場も同じです。給料もボーナスも、福利厚生もそこそこ。
そこで彼氏が言います。「それでも、上司が言い寄ってくるのはおかしいよね?」
何の問題もなかった職場が、急に耐えられなくなります。
恋愛もそうです。相手は優しくて安定していた。そこへ友だちが言います。
「ブランドバッグのひとつも買ってくれないの?」足りない一つが、受け取ったすべての愛より大きくなるのです。
いちばん奇妙な例は数えきれません。一生善いことをしてきた人が、記事やうわさ一つで、一瞬にしてイメージを壊されることがあります。一つの悪い行いが、百の善い行いよりずっと大きく見える。なぜでしょう。
次に、人間はもともと否定的なものに敏感だ
ネガティビティ・バイアスのせいで、悪い記憶は警報のように増幅され、長く残ります。
一つの悪口は百のほめ言葉より人を打ちのめし、悪いうわさは良いニュースより多くクリックされ、戦争の可能性ひとつが、十年の平和より人を動かします。
茂みがガサッと鳴る。「たぶん風だろう」「もし猛獣だったら?」
九十九回は空振りです。でも一回だけ本当に猛獣だったとき、生き残るのは用心深いほうです。
害のない人を誤って疑う → 少し損をする。
本当に危険な人を誤って信じる → 生き残れないかもしれない。
疑いは自分で証拠を作り、心配は現実になり、防御は攻撃のように見え始めます。疑い深い指導者が二人向き合えば、けんかは始まるべくして始まるのです。🐍
新しい大統領が、なぜか決まって戦争に行き着くように見えるのは、そのせいでしょうか。