無意識からわいてくる否定的な考え? 力ずくで引きずっていけ
何も考えていなかった。特に悪いことがあったわけでもない。なのに座っていると、急に心が沈み込む。
「不安になるな」。心臓がどきどきする。
「悲しむな」。涙が落ちる。
「怖がるな」。恐れが押し寄せる。
意志は命令しますが、無意識は言うことを聞きません。憂うつ、悲しみ、不安、絶望が、理由もなくあふれてくる。そして人は、まず自分を責め始めます。
意識が何もしていなくても、脳の自動警報システムは決して休みません。記憶、疲れ、ストレス、体の状態をずっと処理し続けています。だから考えより先に感情がやってくることがあるのです。順番はこうです。無意識の処理 → 自動警報 → 感情 → そしてようやく「あれ? なんでこんな気分なんだろう」と理由を探し始める。
心臓がどきどきするからといって、いつも危険なわけではありません。みじめな気分だからといって、人生が本当にだめになったわけでもありません。感情は情報であって、判決ではないのです。
「強くなれ」「前向きに考えろ」。こうした言葉は無意識には効きません。じっと座っているだけでも、記憶や疲れやストレスが勝手に感情を作り出します。活動が減ると体と脳の報酬系がうまく働かなくなり、報酬が減ると憂うつや不安はさらに強まります。振り出しに戻る。悪循環です。あなたが弱いのではありません。警報が先に鳴っただけです。
言い負かそうとしないでください。「ああ、警報が鳴ったな」と気づいたら、それ以上考えないこと。感情と戦うというのは、実はそれをじっと見つめて、力を与えることなのです。一晩中かみしめるのは、暴れまわる、かまってほしがりの無意識にえさをやっているようなものです。
マタイ6:34「あすのことを思いわずらうな。……一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
ピリピ3:13「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ」
運動に行くか、やりたかった楽しいことをするか、おいしいものを食べてください。無視するのです。
勝利の言葉は、気持ちのあとからついてくるのではありません。気持ちを引きずっていくのです。
ダビデを見てください。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。……たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」(詩篇23:1、4)。
彼はこれをどこで歌ったと思いますか。谷が消えたあとではありません。谷の真ん中で歌ったのです。
ヨシュアは、エリコの城壁が崩れる前に動きました。
聖書は「気持ちが変わったら動け」とは言いません。「信仰によって、まず動け」と言います。神は「恐れがなくなったら行け」とは言われませんでした。「恐れていても行け」と言われたのです(ヨシュア記1:9)。
三十八年間病気だった人に、イエスは「よくなったら歩いてみなさい」とは言われませんでした。「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と言われたのです(ヨハネ5:8)。
子どもがいなくて泣いていたハンナは、何も変わっていないのに、祈りがもうかなえられたかのように食事をしました。そしてサムエルは本当に生まれたのです(サムエル記上1:18)。
私たちは「気分がよくなったらやろう」と言います。でも信仰は言います。「行動によって、気持ちを変えなさい」。
まず動いてください。無意識についていかないで。無意識は、いつも遅れて行動についてくるのですから。
原文を読む(韓国語) →
「不安になるな」。心臓がどきどきする。
「悲しむな」。涙が落ちる。
「怖がるな」。恐れが押し寄せる。
意志は命令しますが、無意識は言うことを聞きません。憂うつ、悲しみ、不安、絶望が、理由もなくあふれてくる。そして人は、まず自分を責め始めます。
脳は24時間、警報システムを動かしている
意識が何もしていなくても、脳の自動警報システムは決して休みません。記憶、疲れ、ストレス、体の状態をずっと処理し続けています。だから考えより先に感情がやってくることがあるのです。順番はこうです。無意識の処理 → 自動警報 → 感情 → そしてようやく「あれ? なんでこんな気分なんだろう」と理由を探し始める。
心臓がどきどきするからといって、いつも危険なわけではありません。みじめな気分だからといって、人生が本当にだめになったわけでもありません。感情は情報であって、判決ではないのです。
厄介な無意識は、私の命令を無視する
「強くなれ」「前向きに考えろ」。こうした言葉は無意識には効きません。じっと座っているだけでも、記憶や疲れやストレスが勝手に感情を作り出します。活動が減ると体と脳の報酬系がうまく働かなくなり、報酬が減ると憂うつや不安はさらに強まります。振り出しに戻る。悪循環です。あなたが弱いのではありません。警報が先に鳴っただけです。
戦うな。無視せよ。
言い負かそうとしないでください。「ああ、警報が鳴ったな」と気づいたら、それ以上考えないこと。感情と戦うというのは、実はそれをじっと見つめて、力を与えることなのです。一晩中かみしめるのは、暴れまわる、かまってほしがりの無意識にえさをやっているようなものです。
マタイ6:34「あすのことを思いわずらうな。……一日の苦労は、その日一日だけで十分である」
ピリピ3:13「後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ」
運動に行くか、やりたかった楽しいことをするか、おいしいものを食べてください。無視するのです。
もう勝ったかのように動け
勝利の言葉は、気持ちのあとからついてくるのではありません。気持ちを引きずっていくのです。
ダビデを見てください。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。……たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです」(詩篇23:1、4)。
彼はこれをどこで歌ったと思いますか。谷が消えたあとではありません。谷の真ん中で歌ったのです。
ヨシュアは、エリコの城壁が崩れる前に動きました。
聖書は「気持ちが変わったら動け」とは言いません。「信仰によって、まず動け」と言います。神は「恐れがなくなったら行け」とは言われませんでした。「恐れていても行け」と言われたのです(ヨシュア記1:9)。
三十八年間病気だった人に、イエスは「よくなったら歩いてみなさい」とは言われませんでした。「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」と言われたのです(ヨハネ5:8)。
子どもがいなくて泣いていたハンナは、何も変わっていないのに、祈りがもうかなえられたかのように食事をしました。そしてサムエルは本当に生まれたのです(サムエル記上1:18)。
私たちは「気分がよくなったらやろう」と言います。でも信仰は言います。「行動によって、気持ちを変えなさい」。
まず動いてください。無意識についていかないで。無意識は、いつも遅れて行動についてくるのですから。