「考えるタイプ」が見落としている、共感の隠れた真実
共感とは本当は何か
共感にはいろいろな形があり、とても難しいものです。感情の共感、認めること、好みの共有、価値観の共有、ただ相手の存在を認めること。
心理学の本でさえ説明に苦労する、共感の本当の姿を理解するには、その反対語を見てみましょう。
無関心、非人間化、敵意、冷たさ、否定、無視、見下し、疎外。
一言で言えば、「お前は私たちの仲間じゃない」という、仲間外れに近い合図です。
人は社会の中で生き延びるために、つながっていたいと願います。
だから学校でも出身地でも、何か共通点を探して、くっついていようとします。
子どもたちを見てください。好みや見た目や年齢が似ているほど、友だちになりやすいのです。
では、共感がなければどうなるでしょう。社会的な排除のような構造が現れます。いじめがなくても、つながりが切れてしまうのです。
共感とは、「私はあなたの味方だよ。あなたは一人じゃない」ということです。
なぜ誠実な解決策が批判されるのか
誰かがつらいと言うと、私たちは助けようとして、すぐに解決策を出します。
「こうすればいいよ」「次はそうしないで」「私だったらこうしたな」。
解決策は問題を直そうとするので、自然と違いを強調することになります。
でも相手は、別の合図として受け取ります。
「あなたの考え方も、解決のしかたも、価値観も、私とは違いすぎる」と。
一方、共感は共通点から始まります。「それは当然だよ」「私だってつらかったと思う」。
聞く側にとって、共感は「あなたは私たちと同じだ」と言っていて、解決策は「あなたは違う」と誤解されやすいのです。
締め出されたと感じている人に、解決策は意味がない
人はつながりを感じてから動きます。孤立していると、どんな解決策も耳に入りません。
「私は一人なの?」「誰か味方はいるの?」「まだここにいていいの?」
共感は、こうした問いに答えてくれます。孤立がなくなると、安心感が生まれます。
そのときはじめて、解決策が本当に耳に入るのです。
いろいろな意見があるでしょうが、共感が得意ではない私のような人間にとっては、共感を排除の反対として見るのが、いちばん納得できる見方です。