征服を正当化するために、イスラムの教義はどう変わったか
1. キリスト教に友好的だったメッカ時代
7世紀初め、ムハンマドがメッカでイスラムの宣教を始めたころ、その運動はとても弱いものでした。だから生き残るために、ムスリムとキリスト教徒は同じ根を持っていると強く強調しました。
そのためコーランは、イエス(イーサー)を神から遣わされた偉大な預言者として讃え、キリスト教徒を、同じ啓典を信じる「啓典の民」と呼んでいます。
この時点では、キリスト教徒は戦うべき敵ではなく、共に生きる兄弟でした。
2. 強くなると、イスラムは態度を変えた
622年のヒジュラ(聖遷)で、ムハンマドがメディナに移ると、すべてが変わりました。メディナで軍と政治力を持つようになると、キリスト教徒を兄弟と呼ぶことは邪魔になりました。
二つの宗教が同じなら、信者がイスラムにとどまる理由がありません。今の宗教が、信者が離れないように他のグループを異端だと教えるのと同じ原理です。それ以来、イスラムはキリスト教徒が聖書を歪めたと主張し、壁を築き始めました。
そしてこの解釈を永久に固定するために、ナスフ(廃棄)の原則が定式化されました。コーランのあとの節が、前の節を上書きするというものです。
多くの古典的な解釈者は、メッカ時代の「宗教には強制があってはならない」(2:256)という節が、メディナ時代のいわゆる「剣の節」、「多神教徒を見つけしだい殺せ」(9:5)によって上書きされたと考えました。
3. 戦利品のために変わった教義
「私たちは違う」という線が引かれると、キリスト教の国々の富を奪う、とても都合のいい口実ができました。宗教が同じなら、兄弟の財産を奪うのは盗みです。違うなら、間違った道にいる者を征服する聖戦になるのです。
征服地のキリスト教徒が保護と引き換えに人頭税(ジズヤ)を払うズィンミー制度は、イスラムが優れた宗教であることを示しながらお金を集める、巧妙な方法でした。指導者たちはコーランの解釈をねじ曲げ、キリスト教国の土地や財宝を正当な戦利品にしたのです。
4. イスラムは、神ご自身の声まで黙らせた
ナスフによって征服の解釈を固定した指導者たちは、そこで止まりませんでした。ムハンマドが最後の預言者だという「預言者の封印」の教義を確立し、新しい言葉が二度と来ないよう、事実上、神の口をふさいだのです。
632年、初代カリフのアブー・バクルは、リッダ戦争によって、新しい啓示を主張する者をすべて軍事的に排除しました。
旧約の預言者たちは、王の前でさえ恐れずに神の言葉を伝え、ダビデ王でさえその叱責の前に頭を垂れました。
でもイスラムの指導者たちは、神の声を一冊の本の中に閉じ込め、二度と出てこられないように釘を打ちつけたのです。
征服を正当化する解釈は永遠に固定され、それを正しうる神の介入は永遠に封じられました。
内戦とテロに閉じ込められたコーラン
その結果が、指導者たちの権力闘争と終わりのない内戦であり、罪のない人々が血を流し続けています。
もう征服する国が残っていない今こそ、その二つの錠を内側から開けるべきです。コーラン自身がイエスについて記していること、そして神が本来なさっていたこと、つまり権力を叱り、弱い者を顧みる声に、もう一度耳を傾けるときなのです。