創世記は『エヌマ・エリシュ』を真似したのか?
YouTubeでよく出てくる話です。「創世記はバビロニア神話を盗作した」。
『エヌマ・エリシュ』のほうが先にあり、ユダヤ人はバビロン捕囚の時代にそれを借りて創世記を書いた、という主張です。
では、創世記は古代のコピペなのでしょうか。学者たちの答えは「そんなに単純ではない」です。
こう言われるのには理由があります。『エヌマ・エリシュ』と創世記は、表面上は似て見えるのです。
でも本当にコピーなら、なぜいちばん大事な部分がまるごと消えているのでしょう。
『エヌマ・エリシュ』では、神々が戦い、生まれ、戦争をします。
創世記にはそれがありません。神は生まれず、戦いません。ただ存在しておられるのです。
ドイツの旧約学者ヘルマン・グンケルはこう結論づけました。「影響はあった。しかしコピーではない」。
表面上はそうです。でも中身は逆です。
『エヌマ・エリシュ』では、人間は神々の奴隷で、神々がやりたくない労働をするために造られました。
創世記では、人間は世界の世話を任された管理者です。外見は似ていても、哲学は正反対なのです。
そのとおり、根は同じです。でも向きが違います。宗教史家ヤン・アスマンはこう言います。
創世記は『エヌマ・エリシュ』の模倣というより、それに真っ向から反論するために書かれた作品として読める、と。
ある小説の二次創作を書くことと、それに反論する小説を書くことは、まったく別のことです。
メソポタミア神話では、太陽は神であり、川は神であり、嵐は神でした。
創世記はそれをひっくり返します。太陽も月も、光を与えるために造られたものにすぎません。
神話を吸収したのではありません。神話を分解したのです。
もっともらしく聞こえます。でも地面を掘ってみると、話は変わります。
イスラエルの考古学者イスラエル・フィンケルシュタインが論じた出土品は、初期のイスラエル人がヤハウェだけを崇拝していたわけではないことを示しています。
彼らはヤハウェのそばで女神アシェラを崇め、バアルも拝んでいました。
今で言えば、教会に通いながら家に仏像も置き、占い師のところにも通う人のようなものです。
もし「最初から唯一の神だけを信じていた」が本当の話なら、こうした出土品は存在しないはずです。
この主張もよく出てきます。宗教学者カレン・アームストロングはこれに反論します。
古代ギリシャの戦争、ローマの征服戦争、中国の戦国時代。どれも多神教の社会で起きました。
戦争の本当の原因は、ほとんどが権力と領土とお金です。
宗教は、多くの場合それを正当化するための道具でした。
創世記は『エヌマ・エリシュ』を真似したのか? そうではないと言う学者が増えています。
問題は、私たちが「影響を受けた」と「真似した」を同じ意味のように扱っていることです。
この二つは、まったく違います。これは盗作ではありません。革命なのです。
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『エヌマ・エリシュ』のほうが先にあり、ユダヤ人はバビロン捕囚の時代にそれを借りて創世記を書いた、という主張です。
では、創世記は古代のコピペなのでしょうか。学者たちの答えは「そんなに単純ではない」です。
神話の核心が抜け落ちている
「どちらも混沌から始まって世界が造られる。同じ構造だ。明らかに真似している」。こう言われるのには理由があります。『エヌマ・エリシュ』と創世記は、表面上は似て見えるのです。
でも本当にコピーなら、なぜいちばん大事な部分がまるごと消えているのでしょう。
『エヌマ・エリシュ』では、神々が戦い、生まれ、戦争をします。
創世記にはそれがありません。神は生まれず、戦いません。ただ存在しておられるのです。
ドイツの旧約学者ヘルマン・グンケルはこう結論づけました。「影響はあった。しかしコピーではない」。
人間の位置づけが正反対
「どっちにしても神が人間を造る。同じ話じゃないか」。表面上はそうです。でも中身は逆です。
『エヌマ・エリシュ』では、人間は神々の奴隷で、神々がやりたくない労働をするために造られました。
創世記では、人間は世界の世話を任された管理者です。外見は似ていても、哲学は正反対なのです。
聖書は神話を解体する
「それでも、メソポタミア文化から出てきたものだろう。根は同じだ」。そのとおり、根は同じです。でも向きが違います。宗教史家ヤン・アスマンはこう言います。
創世記は『エヌマ・エリシュ』の模倣というより、それに真っ向から反論するために書かれた作品として読める、と。
ある小説の二次創作を書くことと、それに反論する小説を書くことは、まったく別のことです。
メソポタミア神話では、太陽は神であり、川は神であり、嵐は神でした。
創世記はそれをひっくり返します。太陽も月も、光を与えるために造られたものにすぎません。
神話を吸収したのではありません。神話を分解したのです。
一神教は、小さな民族の生き残り戦略にすぎなかった?
「ユダヤ人は帝国のあいだに挟まれた弱い民族だった。アイデンティティを守るために『自分たちの神だけが本物だ』と考え出したのだ」。もっともらしく聞こえます。でも地面を掘ってみると、話は変わります。
イスラエルの考古学者イスラエル・フィンケルシュタインが論じた出土品は、初期のイスラエル人がヤハウェだけを崇拝していたわけではないことを示しています。
彼らはヤハウェのそばで女神アシェラを崇め、バアルも拝んでいました。
今で言えば、教会に通いながら家に仏像も置き、占い師のところにも通う人のようなものです。
もし「最初から唯一の神だけを信じていた」が本当の話なら、こうした出土品は存在しないはずです。
一神教が宗教戦争の原因?
「自分たちの神だけが本物だと信じた途端、ほかの神を拝む人々を殺し始めた。宗教戦争はそうやって始まった」。この主張もよく出てきます。宗教学者カレン・アームストロングはこれに反論します。
古代ギリシャの戦争、ローマの征服戦争、中国の戦国時代。どれも多神教の社会で起きました。
戦争の本当の原因は、ほとんどが権力と領土とお金です。
宗教は、多くの場合それを正当化するための道具でした。
影響はコピーではない
創世記はメソポタミア神話の影響を受けたのか? おそらく受けたでしょう。創世記は『エヌマ・エリシュ』を真似したのか? そうではないと言う学者が増えています。
問題は、私たちが「影響を受けた」と「真似した」を同じ意味のように扱っていることです。
この二つは、まったく違います。これは盗作ではありません。革命なのです。